九州あちこち歴史散歩★秋月城跡の紅葉(1)杉の馬場周辺         サイトマップ

秋月城跡の紅葉(1)杉の馬場周辺

   11月も残り少なくなった頃、好天の日が続いたので秋月の紅葉を見物に出かけました。
 昼過ぎに秋月に到着し、やや外れの町の中の駐車場が空いていたのでそこに駐車して秋月城跡目がけて歩き始めましたが、途中、町の観光協会の100台以上入る大きな駐車場は平日にもかかわらず既に満杯になっていて、駐車待ちの車がずらりと並んでいました。
(秋月の町は小さいので、紅葉のシーズンには少しでも早く町に到着して、駐車場を見つけた後にゆっくりすることをお勧めします。)
 私は半日でとりあえず秋月の主な観光地を回ろうと思っていたのですが、この日はありがたいことに午後から夕方にかけて太陽がずっと照り、真っ赤や黄金に輝く紅葉が迎えてくれたので、秋月城跡周辺でゆっくり紅葉を楽しむだけで日が暮れてしまいました。

 筑前の小京都「秋月城下町」観光マップ(朝倉市商工観光課)



 杉の馬場の通りには、まわりの紅葉を楽しみながらうまいものを食べられるお店もありました。


 秋月はまわりの山々から平野に移る地域に当たり、小川にはきれいな清水が流れています。


 秋月美術館


 杉の馬場は桜並木となっていて、春の桜の見事さも有名です。



 登城道であった杉の馬場の両側には武家屋敷が並んでいたのですね。
 江戸時代中期には藩の学問所・稽古館が創られました。


 秋月藩は福岡藩52万石の支藩で、質実剛健の気風に富み、武芸や学問に優れた藩風を誇りにしており、藩は明治維新まで存続しました。

 天下の名軍師・黒田如水(福岡藩祖)の嫡男・長政(初代藩主)は関が原の戦いの戦功により、徳川家康より筑前福岡52万石を賜ったが、その死に際して三男の長興に5万石を分知するよう遺言した。この遺言に基づき福岡藩を継いだ兄・忠之から元和9年(1623)に分知され、秋月藩が誕生した。長興が14歳のときでした。
 ところが福岡藩内にはこの分知を認めず、秋月は福岡藩領内の一部であると主張する勢力も強く、福岡藩から長興に大名として公認されるための江戸参府を禁止する命令が届き、監視されるようになった。
 長興は父・長政の意思を尊重してこの命令を無視し、監視の目をかすめてわずかの供回りで苦労を重ねて江戸に到着し、寛永3年(1626)正月に三代将軍家光や前将軍秀忠への拝謁が許され、同年8月に朝廷より甲斐守に叙任され、正式に大名に列座することができた。
 この頃に秋月では城下町の建設が進みました。
(但し、幕府から正式に秋月領5万石の朱印状を賜ることができたのは、立藩から約10年後の寛永11年(1634)のことでした。)


 秋月藩の立藩にあたってなぜこのようなことが起ったのでしょうか。
 これは有名な「黒田騒動」と深く関係しています。

 福岡藩初代藩主・黒田長政は世継ぎ継承にあたり、狭量で粗暴な長男・忠之を憂い、聡明で快活だった三男・長興に家督を譲ると決め、忠之に「二千石で百姓をするか、一万両を渡すから関西で商人になるか、一千石の知行で一寺建立して僧侶になるか決めるよう」書状を送った。
 後見役の栗山大繕は、「忠之の廃嫡を取り止めなければ、忠之を初め藩の中心となっている藩士の嫡子たち全員で切腹する」と長政に迫り、長政はその嘆願を受け入れ、長男忠之を藩主とし、大繕を忠之の後見役に頼んで死去した。
 二代藩主となった忠之は父長政の「三男・長興に5万石を分知するように」との遺言は守り、元和9年(1623)秋月藩は立藩したものの、忠之の本心はなんとかしてそれを消滅させたかった。
 また、忠之は後見役・栗山大繕ともその後反目しあうようになり、藩内は二分され、何もまとまらなくなった。
 忠之は小姓だった倉八十太夫を寵愛し、大船鳳凰丸を建造し、兵を増強するなどの暴挙を行った。栗山大繕は「藩主忠之は幕府転覆を狙っている」と幕府に上訴するなど幕府を巻き込んだ抗争が約10年に渡って続いた。
 この「黒田騒動」が最終的に決着したのは寛永10年(1633)で、藩側の「大繕は狂人である」との主張が認められたものの騒動の責任を取らされ52万石の家禄没収の上改めて家禄をあてがわれた。大繕は陸奥国の盛岡藩預かりとなったが150人扶持で五里四方お構いなしという寛大な処分で、また倉八は高野山へ追放となった。
 これは実質的には藩主忠之側の負けで、前年の寛永9年(1632)肥後熊本藩の取りつぶしが起っていなければ福岡藩は取り潰しになっていただろうと考える人は少なくない。福岡藩は幸運にも外様藩取り潰しの最大の危機を乗り切ることができた。幕府は九州の大藩を二つも続けて取り潰すことは躊躇せざると得なかった。1637年には天草の乱が起こるなど大坂の役(冬の陣(1614)・夏の陣(1615))後の世の中はまだ落ちついていなかったのである。

 


 秋月郷土館
 秋月の歴史や名産物などが紹介されています。


 フォックスフェイスが並んでいました。


 杉の馬場のあちこちに紅葉が輝いていました。


 紅葉や緑のままの葉が青空をバックに映えます。


「花よりだんご」の人はうまいものがいくらでもあります。


 古き懐かしき時代にタイムスリップできます。


 店先の盆栽も見事な紅葉です。


 眺めているとこのような盆栽も欲しくなりますね。





 秋月城跡に着きました。


 堀跡にはさぎも紅葉見物に来ていました。


「瓦坂」
 瓦が縦に敷き詰められています。
 当時は、この瓦坂の正面奥に城の大手門の「黒門」が建っていました。(現在は移築されています。)


 瓦坂の説明板
 秋月城の正門に至る道を瓦坂といったそうです。
 坂には土砂の流出を防ぐために瓦を縦に並べて敷き詰められています。


 黒門に至る階段上り口周辺には真っ赤な紅葉が並んでいました。


 みごとな紅葉です。


「あまぎ水の詩」
 甘木市は周辺の町と合併し朝倉市となっています。


 城内は中学校です。
 落ちついた木造の建物が心が安らぎますね。


 城の石垣が残っています。


 重要文化財の「長屋門」
 長屋門は当時奥御殿へと至る門で、現在唯一城内の元の位置に残っています。


 城跡の周辺に赤く染まったもみじ、黄色い葉っぱを落としつつある銀杏などが残り少ない秋を演出しています。


 黒門に登る階段の周辺にはもみじがいっぱいです。


 お堀の土手には銀杏の葉っぱが散っています。






 いろんな色が混じっているのがきれいです。


 日が照ってきたので紅葉が映えて一層きれいでした。



   

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