九州あちこち歴史散歩★福岡城(2)多聞櫓など        サイトマップ

福岡城(2)多聞櫓など

   慶長5年(1600)、関が原の戦いにおける黒田長政の活躍によって家康から筑前国52万石を与えられ、12月8日に名代黒田修理と母里太兵衛以下7名の受取衆が、旧城主小早川秀秋側の浦将監らから引渡しを受け、それまでの豊前国中津から移りました。
 名島城は名将小早川隆景が造った水城ですが手狭で城下町が作れなかったため、すぐに如水、長政などにより新しい城の適地の検討が始まり、翌6月には「ご普請番組」を決めて福崎で城の造成が始まりました。
 縄張り(城の造成)の指示は如水、長政が行い、それを石垣造りの名人野口佐介、益田与介の普請奉行が施工しました。

 福岡城の石垣は見事なものですが、その石材は広く県内外から集められました。
 ・主に糸島半島の石切り場(可也山など)から石材を切り出したと思われる
 ・名島城の石材はすべて移されて利用された。
 ・箱崎、博多、福岡の海浜に残っていた元寇防塁の石も利用された。
 ・近辺の古墳の石室、石窟の石材も利用されたようである。
 ・松浦藩平戸からも石材が海上輸送された。

 福岡城内は緑が多く、本丸跡は桜園、一の丸跡は梅園となっていて、2月から4月にかけて花見の客で賑わいます。
 その後、4月後半から5月上旬になると、黒田如水の隠居地であった御鷹屋敷跡のボタンやシャクヤクが見事な花を咲かせます。
 続いて花菖蒲やハスの花が訪れた人の眼を楽しませてくれます。

   →福岡城跡の梅
   →福岡城跡の桜(1)
   →舞鶴公園のシャクヤク(1)





三の丸・東御門

福岡城の東側三の丸から二の丸への通路「東御門跡」

東側の三の丸から二の丸へ入る道路のこの両側の石垣の間には「東御門」が建てられていました。


福岡城の「東御門跡」の二の丸側

「東御門」が建てられていた箇所の石垣


福岡城の東側三の丸の「東御門跡」の石垣

「東御門」が建てられていた箇所の石垣


福岡城の「東御門跡」の説明文

「東御門跡」の説明文


「東御門」が建てられていた礎石

東御門の柱が建てられていた礎石


福岡城の地図

福岡城の地図


南二の丸周辺

南二の丸周辺への通路

南二の丸周辺への通路


福岡城南側の土塁(下は堀だった)

 福岡城の南側の土塁。
 この下には堀が取り巻いていたが現在はない。


福岡城南側の土塁(下は堀だった)

福岡城の南側の土塁


福岡城南側の三の丸の石垣

福岡城南側の三の丸の石垣


福岡城南東側の三の丸の石垣

福岡城南東側の三の丸の石垣





南丸多聞櫓

南二の丸の「多聞櫓」(平櫓と北側隅櫓)

南二の丸の「多聞櫓」平櫓と北側隅櫓。重要文化財。


南二の丸の「多聞櫓」南側の隅櫓

「多聞櫓」南側の隅櫓


西面から見る「多聞櫓」

西面から見る「多聞櫓」


福岡城の「多聞櫓」の説明文

「多聞櫓」の説明文


祈念櫓

北側から見る「祈念櫓」

北側の二の丸から見る「祈念櫓」


「祈念櫓」の正面

「祈念櫓」正面


福岡城の「祈念櫓」の説明文

「祈念櫓」は福岡城→崇福寺→大正寺→福岡城 と移築され、貴重な遺構が保存されましたが、外観は当時と大きく変わっているそうです。
(47棟あった櫓が現在4棟しか残っていません。)


南側から見る「祈念櫓」

南側の二の丸から見た「祈念櫓」


石垣のある風景

西側三の丸の石垣

西側三の丸から二の丸への通路横の石垣


西側三の丸の石垣

西側の二の丸への通路横の石垣


石垣の上の大木

石垣の上の大木


南三の丸の通路横の石垣

南三の丸への通路横の石垣


石垣の上に聳える大木

石垣の上に聳える大木


東側三の丸の石垣

福岡城東側三の丸の石垣


石垣の上の大木

福岡城はけやきなどの大木が多く、中には石垣を壊しているものもあります。


福岡城夕暮れの風景

福岡城の夕暮れ




   

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